2011/09/28

大雪山縦走

日程:9/23~9/25
ルート:
9/23・札幌→銀泉台→赤岳→小泉岳→白雲小屋C1
9/24・白雲小屋→白雲岳→北海岳→間宮岳→旭岳→中岳分岐→北鎮分岐→黒岳→黒岳石室C2
9/25・桂月、黒岳石室→北鎮岳→比布岳→永山岳→安足間岳→当麻乗越→裾合平→姿見RW→札幌
メンバー:seki

遅い夏休みを利用して、初冠雪をまとった秋の大雪山に行ってきました。

9/23:9:30銀泉台を出発です。
さすが紅葉の名所だけあって、人人人ですね~
老若男女、すれ違うのもやっとの状態。早く静かな所まで行きたい。
重い荷物を担いで急ぎ足したら、指先、ふくらはぎ、太もも、計9回も痙ってしまいました(日頃のなまくらがいけない)



初日は台風通過の翌日だったため生憎の空模様。ガスに煙る紅葉もまた良し、かな(?)





赤岳手前まで来ると何やら白い物が・・・。雪です。
初冠雪って、旭岳だけじゃ無かったんだー。
初日はちゃんこ鍋で暖まり就寝。
(結局、寒くてほとんど寝られず)


9/24:翌日は晴天。昨夜は雪が降っていましたが、明け方3時に目を覚ましたら満天の星空。しばし犬小屋風テントから顔だけ出しての星空観賞満喫でした。



いざ白雲からお鉢に向けて出発。
秋の紅葉は何処行った?もうほとんど初冬の山じゃあないか。ちょっと吹きだまりになると太ももまで雪に埋まって、やれやれです。
でもそれがまた良い感じ。前を見ても後ろを見ても誰も居ない。
あったのは神様(カムイ=熊)の足跡・・・・テント場近くで見つけたのとは別の神様みたいです。
さすが神様は埋まらない場所を選んで歩いてらっしゃる(感心)

お鉢に出てからも足下は雪。        「もったりとした白のアンジュレーション」とまではいきませんが、澄んだ青空に雪化粧の山々が映えますね。 
旭岳分岐までは文句なしの晴天だったのに、分岐から旭岳へピストンして、再び分岐に戻った頃にはしっかりとガスがかかってました。ガッカリ。
それでもたまに、ガスの切れ間から雄大な景色を見せてくれました。

時計回りにお鉢を回って黒岳方面まで来たら、何と別世界。ガスも晴れて雪も無い。冬から秋に逆戻りです。


15:00黒岳石室到着。                 テント設営して身支度したら、まだ15:30だったので高級黒岳石室ビールを買って、いざ黒岳へ。    夕暮れ時の大雪山を眺めつつ飲むビールは格別です。夕日に映える黒岳ビール缶がなんとも渋い雰囲気を醸し出しています。               この日は夜通し風が強く、昨夜同様寒かった(マイナス5℃)のですが、疲れのためかそこそこ熟睡でした。                            (12時に小屋泊の方々が外に出て大騒ぎ。熊が出たのかと飛び起きたら、ただの酔っ払いでした)                                                    
9/25:3時起床。満天の星空です。テントは外も中も凍ってバリバリです。
朝ご飯に昨晩炊いて(凍ると困るので)シェラフで一緒に寝たご飯でチャーハン作りました。
過去最高に不味かった。あまりの不味さにマヨネーズを入れてみたら、不味さ倍増。吐きそうになったので、半分だけ食べて残りはお持ち帰りとなりました。

気を取り直し身支度済ませ、朝日の桂月岳へ。今日も晴天です。

                                       
6:30、予定より30分遅れで出発。
ピーカンのハイキング日和です。お鉢もスッキリと見渡せます。と思ったのもつかの間、北鎮分岐から先は風とガスと雪。またしても秋から冬に季節が変わってしまいました。

ここから先は、ガスっていたので写真がありません。
私と同じルートで下山する予定の若いカップルが後ろを歩いていたはずなのに、北鎮を過ぎたら姿が見えなくなりました。諦めちゃったのかな?
北鎮岳を越えてからのトラバースは雪とガスで一面真っ白。上下カッパなので、こけたら何処まで滑っていくのかな、さぞ滑りごたえがあるんだろうな、などと想像しつつ先を急ぎます。

トラバースを過ぎると雪も無くなり、ガスの切れ間から青空が!すかさずシャッターチャンスです。
 

この後はまたまたガスの中。おぼろげな景色を楽しみながら黙々と歩きます。
気がつけば安足間分岐。どうせ永山岳に行っても何も見えないかな、と思いつつも荷物を置いてダッシュ。
奇跡です。永山岳に着いた途端、一瞬ですがガスが晴れて愛別岳の雄姿を拝むことが出来ました。神様ありがとう。
(ここでカメラの電池が切れました。後はだましだましの撮影です)




安足間分岐まで戻り、当麻乗越を越えて神様(熊様)ゾーンへ突入です。
入山前にはあんなに恐れていたのに、今やそれほど恐怖を感じません。神々しい山々を見ていると不思議と何でも受け入れられる様になるのかな。


姿見ロープウェーまであと一歩。もうヘロヘロです。
よく考えたら朝飯もろくに食べず、昼飯もとばしていました。完全にシャリばてです。
そんな時、前方から私の名前を呼ぶ声がする。誰だと探しても誰もいません。いるのはリスだけです。
気のせいかと通り過ぎると今度は後ろから呼び声、話し声。誰もいません。
あれは、リスの鳴き声だったのか、シャリばてによる幻聴だったのか。
そういえば、えぞのメンバーに大雪山でコロポックルに会ったと言っていた人がいたな・・・。



2011/09/09

~ご案内~

えぞ山岳会の一時代を築き、共に励み楽しんだ仲間がマッターホルンに逝って早10年。
節目の年に、えぞ山岳会会報別冊として故人の追悼集を作成いたしました。

えぞ山岳会会報別冊「天狗のかくれみの」
            (A4フルカラー全43ページ)











多くの方に、彼の生き様、山に対するひたむきさを共感していただきたく、下記2店舗にご協力頂き追悼集を置かせて頂きました。

各店25部限定(無料配布)です。

お立ち寄りの際は、是非お手に取り我々と共に山への情熱を感じて下さい。











・秀岳荘札幌本店(札幌市北区北12条西3丁目)
・ICI石井スポーツ札幌店(札幌市中央区北11条西15丁目29-3)

2011/08/09

槍ヶ岳・北鎌尾根

日程:7月31日〜8月4日
ルート:中房温泉〜大天井〜貧乏沢〜北鎌沢右股〜北鎌コル〜北鎌平〜槍ヶ岳〜南岳〜大キレット〜北穂高岳〜柄沢〜上高地
参加者:キムドン、山ちゃん、はやと

朝7:30の便で千歳を出発し、羽田で飛行機を降りると、京急で品川に出て、そこからJRで新宿に行き、新宿で高速バスに乗って松本まで行き、そこで電車に乗りました。


途中で電車が止まってしまったりして、予定よりも約1時間遅れで穂高駅につきました。この駅の近くのスーパーでその晩の食事と翌日からの行動食を買い込み、タクシーで中房温泉まで行きました。中房温泉では風呂に入りたかったところですが、到着が1時間遅れたために風呂には入れませんでした。

私が会の備品置き場から持ってきたテントは30年以上も前の古いものだったので、重くてとても使えない、ということになり、松本の石井スポーツで新しいテントを買いました。ゴアライト(床が160cm×210cm)の4人用です。4人用と言っても、実際には4人で寝るには小さすぎます。
ちなみに、この中房温泉のキャンプ場は温泉だからか、テントの中がやたらと暑くなり、この晩は非常に寝ぐるしい一夜となりました。

登山開始は5:20頃でした。

登山道を登りはじめてすぐに富士山が見えました。雲海の中央左側上部にかすかに写っているのですが、なかなかわかりにくいです。

<合戦小屋> 
ここではスイカを売ってました。ひときれ1000円というので驚きました。

結局、ここではビールを飲んでしまいました。ここから先に何が待ち受けているのかを知っていたら飲まなかったビールでした。


<燕山荘(えんざんそう)>


ここから燕岳(つばくろだけ)に登りたい気分もあったのですが、雲がかかってましたし、時間がなかったのでそのまま先に進みました。





<大天井(おてんしょう)ヒュッテ>


<貧乏沢入口の標識(標高約2600m)> 
これをみつけるのに行きつ戻りつして、約30分かかりました。

この後は、いきなりやぶ漕ぎとなり、沢らしき風景が出てきたと思ったら、思ったよりも急峻で水量も多く、すでにへばっていた私にとっては、非常に厳しい沢下りとなりました。


もっと凄い沢なんですが、写真を撮る余裕がありませんでした。途中、スコールのような雨が降り、靴の中はグチョグチョになりました。登山靴は沢では異様にすべりまして、何度も転倒、っていうよりも転落をくり返しまして、右脇腹に打撲を受けました。あばら骨にヒビが入ったのではと思い、帰宅後に整骨院へ行きましたが、骨には異常がありませんでした。
とにかく、この度の登山の核心部は、この貧乏沢の下りでした。



<天上沢(標高1,800m)>
貧乏沢を下り終わると、天上沢にでます。ここをもう少し進んだところにまずまずのテン場がありました。

テン場についたときには精も根も尽き果てており、写真を撮る余裕はありませんでした。
キムドンも、そこそこ疲れていたようです。
でも、山ちゃんは元気でした。
翌朝は3:00に起床し、5:15にテント場を出発しました。

<北鎌沢出合い>


登りはじめてすぐに右股と左股の出合いがありました。各自そこで水を4リットル汲んだので、その後はいっきにスローダウンしました。
ところが、水場はその上にもあり、結局、このとき運んだ水はこの後すぐに捨てました。


<北鎌尾根のコル(標高2,500m)>
一度水を捨て、その後しばらく登って、いよいよこれが最後の水場だろうと思われたところで再度4リットルの水を汲んだのですが、結局、このコルの直下100mくらいのところにも非常によい水場がありまして、それを見た一同は愕然とするあまりに悲鳴のような声をあげました(笑)。















写真に写ってる風景はわりとのんびりした雰囲気ですけど、実際には、かなり厳しい状況が多々ありました。おおよそのところでは漠然とした道がついているのですが、ところどころでその道が消失したようになっており、ガスで景色が見えないこともあって、方角がわかりづらくなってしまったこともあり、このときは、何度も同じ場所を行ったり戻ったりしました。私は、ちょっとした岩のクライムダウンで右足首をひねってしまい、けっこう重症の捻挫を負ってしまいました。
また、断続的に降る雨がときにはスコールのようになり、靴の中は常にグチョグチョで、楽しい登山というよりは修行の登山でした。


<北鎌平>
すばらしいテン場でした。もともとの計画では、この日のうちに登頂して、槍ヶ岳の肩で一泊することになっていましたが、私は、4リットルの水の重みにつぶされて、そこまでたどりつく元気がありませんでした。気温が低かったため水も大量に余っており、景色もいいので、この北鎌平でテントを張ることになりました。明朝早くに登頂した方が頂上のギャラリーが多いはずだ、というスケベ根性があったことも否定しません(笑)。



ここで私のカメラの電池が切れました。
翌朝の未明には、真っ黒な槍ヶ岳が眼前にそびえていたのですが、その写真は撮影できませんでした。
以下は山ちゃんが撮影してくれたものです。

<上のチムニー>
頂上直下の最後の壁です。ここで、はじめてロープを出しました。とりつき口のあたりが立っていて、ロープなしではちょっと怖い感じがしたのです。まあ、だれも落ちませんでしたが・・。

上のチムニーを登り切ったところです。

朝の6:10頃です。ノーマルルートから登ってきた大勢のギャラリーが拍手で迎えてくれました。私は拍手されるのは慣れてますけど、このときはさすがにテレました。


ノーマルルートの下山口です。登ってくる人と降りる人がぶつからないようにルートが分けてありましたが、子どもを連れてくる人などもあり、かなり渋滞してました。

この後、中岳、南岳と進み、キムドンと山ちゃんは、さらに大キレットから北穂高岳を経て柄沢に降り、柄沢で一泊して上高地に降りたのですが、私は右足の捻挫が痛むのとへばりすぎて具合が悪いのとで、2人とは別れました。それで、南岳小屋の玄関前を右に曲がり、槍平山荘に降り、そこで一泊し、翌朝は新穂高温泉まで行って風呂に入り、バスで松本まで出てそこで2人に合流しました。
新穂高温泉の風呂は、中崎山荘という旅館で日帰り入浴したのですが、受付のときにコインランドリーがあるかどうか訊いてみましたら、そういうものはないとのことでした。それで、「風呂場でズボンを洗っていいですか?」と尋ねましたら、「他のお客さんに迷惑がかかるので困ります」と言われました。しかし、着替えのTシャツはあったのですが、ズボンは重いので、着替え用のものを持ってきていませんでした。こっちこそ困ったなと思ったのですが、ラッキーなことに、風呂には他のお客さんがひとりもいませんでした。いない人に迷惑はかかりませんから、私は、大腕を振ってズボンを洗わせてもらいました。

その後、松本で新宿行きのバスに乗りましたら、3人ともすっかり安心し、山ちゃんは赤ワイン1本、キムドンはワンカップ2本をぺろりと飲み干しました。しかし、しばらくすると一気に酔いが冷める事態となりました。高速道路が事故で渋滞となり、20時をすぎても新宿に着かないことが確実となったのです。
山ちゃんの飛行機は21:00発だったのですが、私とキムドンの飛行機は20:00発となっており、そのままでは東京で一泊したうえに、新たに飛行機のチケットを買いなおさねばならなくなるところでした。私とキムドンはマイルでチケットをとっていたので、あわててマイレージサービスの窓口に電話をかけ、なんとか20:30発の便を予約し直しました。できれば21:00の最終便にしたかったのですが、その便は満席でした。尚、この予約変更は20:00の便が遅れていたための特別サービスであり、20:30の便に乗り遅れた場合は、チケットを買い直さねばならないようになっていました。

そういうわけで、私たちは、どうしても20:30の便に間に合わねばならいこととなったのですが、しかし、そのためには、新宿までバスに乗っているわけには行きませんでした。それで、バスの運転手さんのアドバイスにしたがって日野市の停留所でバスを降り、そこからタクシーで立川駅に向かい、立川からJR中央線に乗りましたが、私たちは、ここでちょっとした判断を迫られました。新宿で山手線に乗り換えて品川から京急で羽田に向かうか、中央線でそのまま東京駅まで行き、そこから山手線で浜松町へ行き、モノレールで羽田に向かうか・・のどっちにするかの判断を迫られたのです。かなり悩んだのですが、偶然にも、私たちは新宿の手前で快速から特快に乗り換えたので、そのまま東京駅に行った方が早いだろうという結論に達しました。
しかし、まさに東京駅目前というところで、なぜか電車が止まってしまいました。キムドンと私は冷や汗をかきました。たぶん電車が止まっていたのは2分くらいだろうと思いますが、その2分が致命的なことになる可能性がありました。

やがて、なんとか東京駅にたどり着き、山手線に乗り換えたのですが、その乗り換えの際の階段では、人波をかきわけねばならず、私は必死になりました。私は相手の目を見ないようにして、頭から突撃する姿勢でどんどん進みました。目を合わせると「おまえがどけろや」という顔で抵抗する者が出てきますが、頭から突っ込めば、相手はよけざるを得ません(笑)。そうやって、無事に山手線に乗り込みましたが、しかし、問題はまだ残っていました。浜松町の改札口をすんなり通り抜けられるかどうかがわからなかったのです。私たちはJRの切符を買う際に品川と東京までの料金を見て切符を買ってしまっていたのでした。東京から浜松町までのぶんで、料金があがるようになっていたなら、改札口を出るまえに料金を精算しなくてはなりません。「とりあえず改札機に切符を入れてみて、いざとなったら突破するべ」という話も持ち上がっていましたが、しかし、突破した後はモノレールの切符を買わねばならず、そのあたりをウロウロしていたら駅員さんに呼び止められる可能性もありました。そうなったら完全にアウトとなるので、最終的には「ちゃんと清算しよう」ということになりました。しかし、とにかく、浜松町は7:45までに出ていなくては飛行機に間に合わないだろうと予想されました。それも快速でなくては間に合わないと思われました。
そして、イチかバチかの気持ちで浜松町の改札機に切符を入れてみると、我々の期待は見事に裏切られました。バタンとゲートが閉じてしまったのです。私たちはアワをくって精算機を探しましたが、モノレールへの連絡口だったせいか、精算機がどこにも見あたりませんでした。が、駅員さんのいる窓口があったので、そこへ駆け込み、「清算してくれ! 1分1秒を争ってるので早くしてくれ!」と怒鳴りました。
駅員さんはイヤな顔で「まず清算してください。70円です」とゆっくりしゃべりました。

見たことのない小さな紙切れを渡され、それをモノレールへの連絡口の改札窓口の駅員さんに手渡し、時計を見ましたら7:39でした。キムドンはスイカカードを持っていたので、改札口で手間取ることはなく、ひとあし先に改札口を出てモノレールの切符を買っておいてくれました。そして、「7:40発のモノレールに乗れれば間に合うわ」と言いましたが、キムドンの腕時計は少し遅れてました。
「あと1分だ!」
と私は叫び、階段を突撃しました。
モノレールのドアが閉まったのは、私たちが飛び込んだ10秒後でした。これに乗り遅れていましたら、東京で一泊するしかなかったでしょう。まさに間一髪でした。

千歳行きの飛行機に乗り込んだ私とキムドンは、しかし、まだ安全ではありませんでした。「千歳の天候が悪く、羽田に引き返す可能性があります」というアナウンスが何度も流れていたのです。羽田に引き返した場合は、空港往復の旅費や東京での宿泊費は自己負担だと通告されていました。そうなった場合は、羽田空港内にテントを張って寝るしかないな、などという話もでました。
が、結局、無事に飛行機は千歳に着陸しました。

みなさん、飛行機に乗るときは、高速バスではなくて電車にしましょう。